5月 奈良の世界遺産の大峰奥駈道を歩く〜山上ヶ岳、吉野山へ電車とバスでアクセス 1日目

山行

はじめに

 ゴールデンウィークに世界遺産の大峰奥駈道の北端を歩きました。

 大峯奥駈道には関西で桜の名所として名高い吉野山、今なお女人禁制の伝統を堅持する山上ヶ岳大峯七十五靡(なびき)と呼ばれる行者たちにとっての霊場など見どころが点在しています。

 起終点が奈良県内でも吉野や上北山村、天川村など山深い地域なのでアクセスが心配と思われるかもしれません。私も自分の車を所有していないので心配でしたが、今回のルートは電車とバスの公共交通だけを使ってアクセスできました

 大峰奥駈道を歩いてみたいけど、どうやって行けばいいのかわからないという方のご参考になれば幸いです。

基本情報

  • 日程:2021年5月3日(月)〜4日(火)
  • 山域:大峰山脈(奈良県)
  • 山名:大普賢岳(1780.1m)、山上ヶ岳(1719.2m)、大天井ヶ岳(1439.0m)、青根ヶ峰(858.1m)
  • 体力:★★★★★
  • 技術:★★★☆☆
  • 展望:★★★☆☆
  • コースタイム:約17:17
  • 距離:約31.4km
  • 最寄り駅:近鉄吉野線 吉野、奈良交通バス 和佐又山登山口
  • 最寄りIC:御所IC、五條北IC
  • 駐車場:和佐又キャンプ場

コース概要

 大峯奥駈道は、奈良県の吉野川の柳の宿と和歌山県の熊野本宮を南北に結ぶ、総延長約170kmの参詣道です。

 紀伊山地を南北に繋ぐその道程の大部分は大峰山脈の主稜線をたどる山道です。吉野川から山上ヶ岳までを「山上道」、大峯山寺本堂から熊野本宮へ至る道を「奥通り」や「奥駈道」と呼びます。

石畳

 修験道の開祖である役小角(えんのおずぬ)という人物によって8世紀頃に開かれたと伝えられる歴史ある道で、靡(なびき)とよばれる行場や石畳など随所に古道の趣を感じることができます。

 今回は、主に山上道を北上する約30kmのコースを1泊2日で歩きます。起点を南部の和佐又(わさまた)、終点を北部の吉野にしました。理由は交通の便です。

 和佐又に比べ吉野は鉄道が通じており便数が多く終電も遅いです。何らかの理由で行程に遅れが生じ吉野着が遅くなっても家に帰りつけるように北上するルートで計画しました。

1日目

1日目は奈良県上北山村の和佐又をスタートし大普賢岳から奥駈道に入ります。山上ヶ岳の南にある小笹ノ宿にて一泊します。

行程 和佐又口バス停 10:00 →50分→ 10:50 沢コース分岐 →91分→ 12:21 和佐又のコル →36分→ 12:57 伯母峰分岐 →23分→ 13:20 笙ノ窟 →99分→ 14:59 大普賢岳 →36分→ 15:35 明王ヶ岳 →28分→ 16:03 阿弥陀ケ森分岐 →33分→ 16:36 小笹ノ宿避難小屋 (1泊)
行動時間 約6:36
距離 約9.0km

2日目

翌日は、山上ヶ岳の大峯山寺に参拝した後、山上道を北上して吉野山ケーブル吉野山駅をめざします。

行程 小笹ノ宿避難小屋 07:00 →15分→ 07:15 投地蔵辻 →36分 → 07:51 山上ケ岳 →56分→ 08:47 洞辻茶屋 →45分→ 09:32 今宿跡 →44分→ 10:16 五番関 →127分→ 12:23 二蔵宿小屋 →78分→ 13:41 四寸岩山 →8分→ 13:49 薊岳 →50分→ 14:39 心見茶屋跡 →43分→ 15:22 青根ヶ峰 →15分→ 15:37 奥千本 →3分→ 15:40 金峯神社 →35分→ 16:15 吉野山 →31分→ 16:46 奥千本バス停 →1分→ 16:47 竹林院 →9分→ 16:56 吉野中千本バス停 →2分→ 16:58 吉水神社参道鳥居 →7分→ 17:05 金峯山寺 →9分→ 17:14 吉野山駅 →27分→ 17:41 吉野駅 (下山)
行動時間 約10:41
距離 約22.4km

アクセス

公共交通

 山深い地域なので公共交通の便数は限られています。しかし、今回の行程のように周回ではなく出発地と到着地が異なる縦走登山の場合は、車の回収が必要ない公共交通を利用できれば便利です。

 登山口最寄りのバス停は、奈良交通バスの和佐又山登山口です。

 和佐又山登山口へは、近鉄電車の大和上市駅で下車し奈良交通バスへ乗り換えて向かいます。

大和上市駅への到着時刻に応じて、

  • 特急230系統大台ケ原行き(のりば1):平日休日とも9:00発
  • R169ゆうゆうバス下桑原行き(のりば2):平日16:00発、休日8:30発

のいずれかに乗車します。

特急の場合、和佐又山登山口バス停までの所要時間は約1時間料金は1500円です。最新情報は奈良交通バスの奈良バスなびwebなどでご確認ください。

公衆トイレは大和上市駅と和佐又山登山口にあります。大和上市駅のトイレの方が設備が新しいので、気になる方は先に済ませていきましょう。

 和佐又山登山口バス停から沢登山口まで車道を1.3kmほど歩きます。

マイカー

 以前は和佐又山キャンプ場の駐車場が利用できましたが、上北山村のホームページによると2020年より施設の改修工事のため利用禁止となっています。

沢道入口の手前に置かれた看板。和佐又山ヒュッテとキャンプ場の利用禁止を告げる。

代わりにキャンプ場から500mほど手前に臨時の駐車スペースがあるそうです。路面に面した空き地で約10台ほど駐車できるとのことです。ご利用前には、上北山村ホームページなどにて最新情報をご確認ください。

山行記録

和佐又山登山口

 9:00発の大台ケ原行きの特急バスに乗りおよそ1時間、10:00に和佐又山登山口のバス停に到着です。

バスの操車場から少し下った所に公衆トイレがあります。

公衆トイレの向かいに登山口を示す指導標があります。山腹に取り付く急な登山道が伸びていますが、ほとんどの人は車道を進んだところにある沢道入口(沢ルート)から入山していました。

渓流釣りのスポットなどを見送り、10:35に沢道入口に到着します。

沢道入口から和佐又キャンプ場

 入口の針葉樹の木立を抜けると広葉樹の明るい森歩きです。ブナやバイケイソウなどの草木が葉を広げて、陽の光を全身に受け止めています。水の流れの音、斜面からの湧水などが目や耳を楽しませてくれます。

 一般的に沢道は尾根道と比べて難易度が高いといわれます。山岳部時代に教わった教訓に「迷ったら尾根に登れ。谷には降りるな」というものでした。理由は、谷には滝や崩落地、沢を渡る渡渉などがあり歩くのに注意が必要なこと、見通しが効きにくく道迷いの危険があることなどです。

 ただ、この沢ルートにはペイントや指導標が短い間隔でつけられていますので谷あいの道ですが難易度は低い方だと思います。途中、土砂崩れや沢の流れによりトレースが不明瞭な箇所があります。一歩先のマーキングを探したり方角を確認しながら歩きます。

 沢ルートはおおむね西へ進みますが、最後の渡渉で鋭角に南東へ向きを変えて沢を外れ斜面に取り付きます。看板はありますが景観に馴染む色なのでなので見落として沢を直進しないように注意しましょう。かくいう私は見落として数メートルほど進みました。

 ここからは山腹を横切るように進んでいきます。木立の間から向かいの山が見えます。山は茶色い枝にうぐいす色の葉を装いつつあります。

 三角の屋根が見えたら、和佐又キャンプ場はすぐそこです。

和佐又キャンプ場から笙の窟を経て大普賢岳

 12:15、和佐又キャンプ場に到着です。汲取式のトイレがあります。現在はキャンプ場自体が休業しているためか、水道は使えません。

 私にとっては高校生の頃、山岳部の県予選大会のためによく訪れた場所で懐かしく、写真を撮りながら歩いて回りました。

 キャンプ場内の立派なコンクリートの舗装路を進むと、案内板や歌碑が見えてきます。和佐又山と和佐又のコルへの分岐です。

 石碑にはここ大峰山脈で修行した僧たちの残した歌が刻まれています。

寂寞のこけのいはとのしづけきに 涙の雨のふらぬ日ぞなき 

日蔵上人(904〜985年)

こけむしろ笙ノ窟にしきのべて 長き夜のこる法のともしび

円空(1672年頃)

学生時代に授業で聞いたことのある有名人が名を連ねています。

 12:50に分岐を出発し、13:05に和佐又のコル到着です。ここは和佐又山、無双洞方面への分岐点です。林間のベンチでおにぎりとパンを食べてしばし休憩です。休憩してばかりです。

 尾根道を進み和佐又北周回ルートとの分岐を13:58に見送ると、道は斜面の南側を横切るようになります。足場に注意して進んで行くと、本日の見どころでもある大峰山の行場群が現れます。

 シタンノ窟朝日の窟笙の窟鷲の窟はオーバーハングした岩壁の窪みを行場としています。

 なかでも笙の窟は最も大きく祠や案内板があります。苔むした岸壁から雫がこぼれ帽子や服を濡らします。祠に向かって自然と手を合わせます。

 平安時代の西行法師はここで次のような歌を読んだそうです。

露もらぬ岩屋も袖はぬれけりと きかずばいかに怪しからまし

西行法師(1118〜1190年)

今も昔もかわらず、窟の雫はこの地を訪れる人の衣を濡らしたようです。

 鷲の窟を過ぎるといよいよ道は険しくなります。岩場や急な斜面には、ロープ、鎖、ハシゴや橋が整備されています。三点確保を意識して通過しましょう。

 15:14、石の鼻に到着です。岩の上に立つと東側に展望が開けます。また、西の方を向くとこれから目指す大普賢岳と大峰山脈の主稜線が望めます。

 小普賢岳の看板を過ぎたあたりから、足元に薄い積雪が現れます。前日の雨は、ここでは雪だったのでしょう。多少のぬかるみはありますが、アイゼンは不要です。

アップダウンを繰り返し徐々に標高を上げていくと、指導標が現れます。16:15、大峰山脈の主稜線に合流します。

大普賢岳から小笹ノ宿

 分岐からほど近い大普賢岳の山頂へ寄り道します。南北に細長い山頂には、山名板と三等三角点があります。

1779.9mの山頂は、まばらに木々が生えているものの展望の良い山頂です。

北東側には大台ケ原、南側には弥山、八経ヶ岳へと伸びる大峯奥駈道が走る主稜線、西側にはバリゴヤノ頭から大日岳や稲村ヶ岳へ続く稜線、そして北西側には木々の隙間から翌日に向かう山上ヶ岳が見えます。

大普賢岳北の分岐を示す指導標。大普賢岳には巻道もある。

16:45、分岐に戻り主稜線を北上します。

背丈の低い笹と芽吹きを待つ木々の立ち並ぶ、見通しのきく尾根道です。

17:00、本日2度目の小普賢岳を通過し、17:05に経函石(きょうばこいし)への分岐を見送ります。

17:45、脇宿(わきのしゅく)にはテントやツェルト泊の登山者が3組ほど幕営していました。

17:56、女人結界門が現れます。ここは阿弥陀ヶ森という分岐点で、左に進むと山上ヶ岳・小篠の宿(小笹ノ宿)(おざさのしゅく)、右に進むと柏木へ至ります。

 ここから先は21世紀の現在もなお、女人禁制を護る山上ヶ岳の核心部です。本日の宿泊地である小笹ノ宿へ向けて、女人結界門をくぐります。トウヒやツガにブナでしょうか。針葉樹と広葉樹の入り交じる稜線を進みます。

 小笹ノ宿の目前の下り坂には、石畳が残っています。

小笹ノ宿付近の石畳

人里離れたこの地に熊野へ至る街道が敷かれ、そこを歩く人々や地元の人たちにより時代を超えて維持されてきたことに思い至ります。雪で湿った石で滑り尻もちをついたのもきっと私だけではないでしょう。

 日没とほぼ同時、18:35に小笹ノ宿に到着です。

小笹ノ宿で幕営

小笹ノ宿

 小笹ノ宿には避難小屋があります。ただ、この避難小屋は行者さんの便を図るためのものとのことですので、登山者は避難小屋を当てにしないのが無難だと思います。

 小笹ノ宿避難小屋の情報は以下の通り。

  • 収容人数:約5名
  • 水場:有り
  • トイレ:無し
  • テント場:斜面に平坦なスペースがある。10張り以上可能。

 薄く積雪がある場所を避けてテントを張らせてもらいます。この日は私も含めて5張りほどでした。

 夕食はアルファ米の白米とスープカレーにします。

 この日は到着が遅くなったので慌ただしく設営と調理です。湯を沸かしながらテントを張り、テントにザックを放り込んだ頃にちょうど湯が湧きました。アルファ米に湯を注いで15分待つ間にテントの中の整理や水の確保、ウェットティッシュで汗を流します。我ながらいつになくテキパキとした行動でした。いつもこれくらいできればよいのですが、普段は自分に甘い私です。

 安全のためにもゆったりとしたひと時を過ごすためにも、テント場への到着は余裕を持って…がこの日の教訓です。

 食事を終え、歯を磨いたらようやく息つくことができました。夜のテント内の気温は5℃。私はモンベルの#5のシュラフにダウンジャケットとパンツを合わせて適温でした。

5月 奈良の世界遺産の大峯奥駈道を歩く〜山上ヶ岳、吉野山へ電車とバスでアクセス 2日目」へ続きます!

参考

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